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ポツダム宣言受託を決める3人の元帥会議で、畑元帥只一人が本土決戦反対論を述べ受託を昭和天皇に奏答した元帥であった! [旅で読んだ本]





ポツダム宣言受託を決める昭和20年8月13日開催された元帥会議で、

畑元帥はただ一人敗戦を認め戦争続行不可能を昭和天皇に奏答した、

まことの軍人であった!

いまの日本が存在するのは、畑元帥のお蔭である・・・・・・。




大東亜戦争戦場図
太平洋戦争地図.JPG


大東亜戦争終結間際の昭和45年8月14日10時、
ときの昭和天皇は御前会議の開催に先立って元帥会議を召集され、



   昭和天皇
昭和天皇.JPG



防空壕の中にあったとされる場で、
御前会議に先立ち三元帥の意見をヒアリングされた。



太平洋戦争地図.JPG


その三人の元帥こそ陸軍の畑俊六(当時第二総軍司令官)、杉山元(第一総軍司令官)、
海軍の永野修身(元軍令部総長)であった。


    畑俊六元帥
畑俊六.JPG


昭和天皇は3元帥より意見を聴取した際、
杉山と永野が本土徹底抗戦を主張するのに対し、
畑のみは鋭い現状分析結果に基づき精神論でなく正直に
「担任正面の防御については敵を撃攘し得るという確信は
遺憾ながらなしと申上ぐる外ありません」
と説明された。



現状分析の中には広島への新型爆弾(原爆)投下が勿論あった
広島原爆投下.JPG




畑元帥こそ、まことに修羅場の中で、
戦局を冷静に正しく俯瞰できた、
武人の中の武人であった。




元帥達の中で昭和天皇の信頼が厚かったといわれる、
畑元帥の意見に昭和天皇は本土決戦の不可能さを、
確信することになったといわれる。




畑元帥こそポツダム宣言受託を
事実上決定した張本人であり、
今の平和国家建設へ導いた救国のリーダーであった。




本著は畑俊六元帥自身が戦犯容疑者として収容されていた巣鴨獄中で書いた、
誕生から陸軍大臣就任に至るまでの詳細な「回顧録」ほか、
「巣鴨日記?・?」「敗戦回顧」および「日誌?」を収録している。
抜群の記憶力の持ち主である畑元帥ならではの回想録である。



戦後史の研究に欠かせないに欠かせない貴重な史料である。

まことに戦争は始めるのは簡単であるが、終えるのは難しい事案である

?詳細はこちら?





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